
どうも、料理に目覚めつつあるkoukiです。
今日は
『自己満足は生きる根源』ということについてお話します。
私は嫌で嫌で仕方ない部署から部署替えを願い出ました。
結果的に気づきや、今を楽しんで生きることができていますので正解でした。
そんな話です。
おおまかな流れとして、
・嫌な仕事から逃げ出したよ
・自己満足について
・よく言われる美徳的なフレーズ
・本業に時間を費やすことの良い部分と考え方
・まとめ
という項目で、めっちゃ嫌な仕事から逃げ出す物差しは自己満足感、そこを基準にして生活を充実させよう、という考え方について書いていきます。
もくじ
嫌な仕事から逃げ出したよ
私は転職歴2回です。
現在の仕事は17年目になろうとしています。
我ながら仕事自体は長く続いている方だと思います。
自分という人間を続けていること以外では一番長く続いているものなのではないでしょうか。
私は基本的には仕事が大好きではないですし、仕事よりも旅行や家族、友人と過ごすことに時間を費やしたい。
この気持ちは、おそらく大なり小なりほとんどの人が同じなのではないでしょうか。
そのうえで、自分の時間を最も大切にしながら、仕事も一生懸命頑張ることで、社会的な経験を積んで自分が成長する。
こんな感覚ですね。
仕事を覚えて、わからない不安がなくなっていけば、もっと仕事も生活も楽しくなる、と思っていました。
実際、そうだとは思います。
悩みというのは思春期に最も思考を凝らして、様々なことで悩みますよね。
非常にしょうもないことで悩みます。
大きくなったら悩みは消えるのか、といえば恐らく生涯消えることはなく、経験によってその感覚はある程度克服することができます。
仕事もそんな感じで、仕事を覚えればイージーモードになるかというと、ちょっと違います。
それなりの仕事ができるようになっていくと、次のステージに移行します。
そして与えられるのがポジションと責任。
仕事自体が好きではない私ですが、元々は選んで、やりたくてやっている仕事です。
やりたい仕事でしたから、好きで仕事をしていますし、その中で達成感と充実感を得るために頑張ってきました。
結果的にそれなりの評価を受けたり、結果を残すことになるのです。
私も仕事経験などから漏れなく、社内の部署替えにより忙しい部門で仕事をすることになりました。
忙しさの中、それなりの仕事と責任を与えられ、誇りと充実感に満ち溢れて仕事ができる部門です。
しかし、元来仕事よりも自分の時間。
華やかな忙しい部署に行きたいという意識は皆無です。
異動になった時にはマジでクラクラしましたし、実際に仕事をしてもやっぱり嫌でした。
その部署、めっちゃ忙しいわけです。
時間のほとんどを仕事に費やす感じですね。
しかも、私がやりたい部門の仕事ではないです。
好きな仕事が嫌なになるくらいの感覚。
人間関係よりも仕事内容で嫌になる感覚。
通常人間関係から嫌になることがほとんどだと思いますが、仕事内容で嫌になるという割とレアケースといえるかもしれませんね。
考えた末、私は退職ではなく部署替えという形で現在の部署へ異動しました。
中途半端に投げ出すこと、ケツまくって逃げ出すことにめっちゃ抵抗ありました。
他人の目と、自分の嫌度の天秤です。
おそらく退職する方や何かを辞めるときにはみんな考えることだと思います。
他人の目や評価なんて、そこまで考えなくても良いものだということは抜け出してみると痛感するのですが、その時には本当に迷いますね。
異動して思ったことは、
仕事は楽しい!
もともとやりたくてなった仕事は楽しいに決まっている!
です。
評価がよい仕事をしようとも、給料が良くなろうとも、自分がやりたいと思っていない仕事は全然面白くないです。
睡眠時間を除けば、1日で本業に費やす時間はほとんどです。
で、あれば、やりたい仕事をやることが最も自己満足ができます。
先を考えすぎたり、立場を考えるよりも、
自己満足
これを基準に考えれば、楽しい仕事を継続できます。
仕事も張りがあって楽しく、自分の時間も楽しい
これって私が最も望む生活でした。
結果的に勇気を出して繁忙部署から逃げ出したことは正解でした。
仕事って充実感を持ってやらなきゃ苦痛でしかないですからね。
自分が充実することとは自己満足。
満足することで、自分に関わる人にも良い影響を与えることができます。
今は「仕事楽しい」です。
自己満足について
自己満足は割と否定的な表現でつかわれることが多いです。
「やってることが自己満足なんだよ!」
ってな感じで。
ですが、人の全ての説明が自己満足で完結すると考えます。
自己満足とは、充実感、達成感、目的達成、幸福感、承認欲求、自己顕示欲、これら全てを大きくくくる表現だと考えます。
人のために仕事をすること、これも人を助けることによって、結果的に自分自身が充実して満足することです。
お金を稼ぐこと、これも収入を得て、満足のいく生活レベルを維持することも満足です。
定めた目標に向かって努力すること、これも努力して一歩ずつ目標に近づくプロセスを楽しむこと、結果をだすことで充実感を得られることも満足です。
表彰をされたり、結果を残して人に認められること、これも充実感を得る意味で充実することも満足です。
つまり、自己満足は人の欲や快楽を満たされた瞬間の表現だともいえます。
その満足感は持続することがないので、時間が来ると再び満足感を求めて回り始める。
人に限らず、生物はほぼ全てこういうサイクルで向上していくわけです。
行動原理だといえます。
ですので、『自己満足』これは人が生きる上で、最も根源的に欲しているものです。
これを欲望とし、そのサイクルから抜け出す考えを見出すことで幸福を得るという自己満足を発見したのはブッダですね。
悟りを開くことは常人では難しいですが、程よい自己満足で納得することができる思考があれば、幸せにはなれます。
では、どの部分で自己満足をするのか。
それは個体差といえます。
どういった充実感を得られれば満足感が大きくなるのかについては、異なります。
人によっても異なりますし、同じ人であってもそのタイミングや心のありようで受け止め方も変わります。
私の場合は、忙しい中で確実に仕事をしているという他人からの承認欲求、自己顕示欲よりも家族との時間過ごすことで充実し、自分がやりたい仕事をすることで充実感を得て、結果的に自己満足できているのです。
そして、仕事で得られる自己満足感もいいですが、こうやって好きなブログを書いて発信できることにも自己満足ができています。
美徳的なフレーズ
私は歴史が好きです。
過去の経験に学ぶことは参考になりますし、第一に面白い。
一つの出来事は、それ以前の複数の出来事や考え方に影響されて起こっていますし、新たに起きた出来事はその後に繋がります。
そんな歴史の中というよりも私が生きてきた中でさんざん聞かされて使われてきた言葉がありますね。
『与えられた場所で花を咲かせること』
これは美徳とされています。
どちらかと言えば冷や飯を食わされた人が、耐えるという意味で使われる言葉です。
どの場所でも文句を言わず、淡々と仕事を精一杯やっていれば、それを誰かが見ていて評価してくれる、といわれます。
だから、どんな劣悪な環境でも、続けていればきっと才能が開花して次のステージに行ける、ということです。
美しい忍耐表現だと思いますし、忍耐の大切さを表現していると思います。
但し、最も大切なのは人の評価ではなく、自分自身が自己満足するかどうかです。
耐えることで、才能が開花して成長でき、自己満足ができれば良いですね。
自分の中からこういった気持ちが出ることは大切なことです。
『ここで耐えられなければどこに行っても逃げることになるぞ』
これも耐えることを促す言葉として聞いたことないでしょうか。
耐えられなかったらこの先負け犬として逃げ続ける生活が始まるのか、ここが瀬戸際か、と思って耐えさせる言葉。
その場所で耐えられなければ、似たようなブラックな場所でも耐えられないとはいえるかもしれません。
ブラックかどうかは、本人が好きな仕事かどうかにもよりますが、客観的にだれが見ても、という場合もありますね。
ですが、根本の話、
- ブラックだと感じた状況で耐える必要はない
- 似たようなブラックな状況を耐える必要なんてない
わけです。
耐える必要のある状況か?立場か?そういったところをちょっと俯瞰的に考える必要があります。
だれしも仕事が嫌で辞めることもあるでしょう。
仕事を辞めて、その後全てにおいて逃げ癖つきますか?
ブラックな状況でなければ逃げないでしょう。
その状況で耐え忍んで成長していく自分自身が充実しているかどうかが大切です。
嫌だと思う場所で、嫌々仕事をすることは生産性も上がりませんし、仕事以外の全ての周囲の人に対しても良い影響は与えません。
最も大切な自己満足ができないからです。
それなりに経験を積んでいれば、この状況が成長をもたらすのか、ただのブラックか、なんとなくわかるはずです。
『やらない理由を考えるよりもやる理由を考えろ』
表裏一体の言葉ですので、使う状況を選びます。
多くの人は変化よりも継続を望みます。
今まで継続してきたことをやめたり、新しいことをすることは億劫になったりします。
ですが、なんらかの出来事で新しいことを始める理由、今まで継続してきたことをやめる理由が発生するのです。
逆に言えば、なんらかの出来事で新しいことを始めない理由、継続してきたことを継続する理由を考えます。
自発的に、自己満足を主眼に考えれば、前向きなのか後ろ向きなのか、自分自身で判断できます。
他人に言われることではなくて、自分の状況を一番よく知っている自分が自発的に考えることです。
無駄に引いているのか、無鉄砲に進んでいるのか、自分自身が一番よく分かっているはずですからね。
さまざまな言葉が他人から発せられますが、他人から聞いて取り入れる分には良いと思います。
他人から一方的に発せられた言葉をそのまま受け入れることはちょっとどうかと思います。
太平洋戦争後の帝国陸海軍の軍隊内の兵隊のお話があります。
ブラック、理不尽の極みですが、上官が兵隊に様々な言葉を投げかけます。
一方では別の状況で聞かされれば一理あるような言葉も、状況によってはブラックワードになります。
許さない雰囲気、やらざるを得ない雰囲気、まさに雰囲気で維持されているのがよくわかります。
雰囲気とはつまり、他人の目。
戦前と違い、今は情報が得られます。
並べられた情報から、言葉の真意、状況を明確にしたうえで言葉や意味を判断すべきです。
一兵卒の視線から書かれた本があります。
ブラック企業に就職した人と同じ視線、違うのは逃げれば処刑、進めば戦死の可能性。
ブラックに興味があれば面白いと思います。
本業に時間を費やすことの良い部分と考え方
サラリーマンの本業の仕事って、基本的には時間を組織に提供して給料をもらう、というところになるかと思います。
組織の利益を大きく上げたとしても、それは給料査定という形で反映されはしますが、大きく変わらないものですので、やはり時間を売っているという考え方が正しいです。
つまり、少し無理やりかも、ですが
自分の自由な時間を売って、収入を得る
というのが雇われている立場ですね。
自分の時間を売ってはいますが、売った時間は自分の脳みそをそのまま全て渡しているのかといえばそうではなくて、自分自身という個人は間違いなく自分のものです。
ですから、考え方を変えれば、給料をもらって知識や経験を積んでいる、ともいえます。
どうせ時間を費やすなら、ちょっと良い方向に考えてみるとめっちゃお得だとも思えてきます。
給料をもらって得た知識や経験、何の役にたつの?と更に考えてみると、私の場合このブログに書くことができます。
このブログに書けるということは、考え方の肥やしになっているということですね。
私にとっては趣味と副業のようなブログ、これも楽しいです。
それ以外にも得られるものはあります。
なんせ強制力があるので、本来手を出さないようなこともやらざるを得ないですから、無理矢理新しいことをすることになります。
逆に考える必要のないことは考えようとしない姿勢も得ることになりますが、それすらも気づくという得るものがあります。
もう一つ、時間拘束されることの良い面としては、メリハリが出るということですね。
小中学校の頃の夏休み、最初の数日はめちゃくちゃ充実していましたね。
それが、お盆を過ぎた頃には
「暇だな、今日なにしようかな」
暇すぎて時間をどう潰すかを考えるようになります。
本を読んだり、行きたい場所に行けたり、スポーツを極めていければいいのですが、持て余す時間は別に見たくもないテレビを見たりして過ごしてしまいます。
学校が始まれば、夏休みの有り余る時間にもっとやることがあることに気が付きます。
本業の仕事もそれと同じです。
土日の休みにあれをしよう、あそこに行きたい、と計画を立てて濃密な時間を過ごすことができます。
結果的に、忙しい時の余暇に学んだことは身についているのではないでしょうか。
そういう意味では休みがないような本業で得るものは忍耐力のみです。
ちょっとの休みは絶対に必要です。
休みに趣味に費やす時間は充実しているはずです。
まとめ
つらつらと私が嫌な仕事をやめて、やりたい仕事に逃げ出したお話を書きました。
元々その仕事を選んだ理由を思い返すことは大切です。
原点に立ち返る、ということは良くも悪くも自分自身の原点の思考に気づけるからです。
なぜその仕事を選んだのか。
結論、ほぼ確実に自分の為という結論に至るはずですが、何が自分の為になるのか。
何を欲してその仕事をするのか。
自分の為にすることが、結果的に他人の利益になることは往々にしてありますし、その逆もあります。
であれば、自己満足という物差しで考えることは大切です。