【育児】学校教育を体現する運動会で2つの変化と1つの感動

こんにちは!台風、台風、雨、台風でおなか一杯のkoukiです!

先日、小学生の子供の運動会へ行ってきました。

私の小学生の頃は、午前午後と一日かけて運動会を実施し、応援合戦などを含め、児童は身体精神を使い果たすような総力戦の様相でした。

運動会も変わりました。

場所取りがなくなっている

これは良いことです。

親が朝早く場所取りに出かけ、ゴザのしきにいかなくなったことです。

学校側からそのような注意喚起ができているわけではありませんが、見通しのよい場所にゴザをひいている人がほとんどいませんでした。

親は自分の子供が競技参加する時に最前列にカメラを構えて現れ、競技が終了すると最前列を明け渡す、そして次の親がカメラを持って現れる、といった具合に場所の取り合いがないのです。

合理的であり、どうせ他人の子の競技を真剣に見ないという点を考えれば利にかなった場所の使い方だと思います。

いつからこうなったのかな~?とても良いことです。

運動会の全種目が午前中に終了

午前午後を使った運動会は、疲れます。

逆に言えば一日やり切った達成感もありますが。

親としても秋とはいえ、一日外で太陽に照らされながら見ているのも大変です。

運動会は午前中に凝縮されています。

同時に、親子でゴザの上でお弁当を食べるというイベントも存在しません。

親が見に来ていない子への配慮なのか、時間短縮による副産物なのかわかりませんが、小学校の頃は親と学校で弁当を食べることは楽しみの一つでもありました。

組み立て体操をまだやる!

一時危険な種目であるということで、小学校では組体操、中学校では騎馬戦や棒倒しが一時期やらなくなりました。

実際に何人も死者がでていますからね、しゃぁーないですわ。

ただ、それだけアツい種目でもあります。

組み立て体操は、人間ピラミッドのように、四つん這いで大勢の人が土台となり、その上にさらに四つん這いで乗っていき、一番軽い人が頂点を形成するものです。

皆で練習し、力を合わせて作り上げる共同作業であると同時に、普段、背が小さい、線の細い子がその頂きとなって歓声を浴びることのできるものです。

組み立て体操、怪我を防止したうえで継続するという教育の意気込みを感じました。

三段ピラミッドは、実際に四つん這いは下段のみで、二段目は中腰で下段の背中に手を置く、頂点は二段目に四つん這いになっていました。

これならば最下段への負担は減りますし、最後に崩すときに下段が怪我をすることはないですし、見た目も悪くありません。

よく考えられています。

死者が出ている競技を引き続き同じようにやることは、再び死者が出る可能性がありますから、中止するのは当然です。

しかし、みんなで協力して練習し、完成させる達成感や、低学年からみれば高学年になった時にやることのできる目標や憧れの競技でもあります。

危険なのでやらないという選択肢は安易な方法ですが、学校、そうではなかった。

今回、組み立て体操がこのような形で行われていることを知りませんでした。

危険に配慮しながら、理不尽なモンスターペアレンツの圧力に屈することなく、教育のひとつの形を残していた教育委員会や学校に対して私は嬉しくなりました。

学校では体格差、勉強の優劣など、社会と同じように格差があります。

格差といえば格差ですが、それは個性、最近よく言われる多様性であるともいえます。

マイノリティに配慮しすぎず、かといって排除することなく、それぞれの位置でできることをやっていくことは、社会の構造と同じです。

責任を一番近い親ではなく、学校や社会におしつけようとする今の流れで学校も相当な鎧を着て、ビビッていると思っていましたが、今回の運動会で、

岐阜の学校教育やるやん!

っておもいました!


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